江戸時代(1603 - 1876 A.D.)

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    日本の時代劇はほとんどの場合 江戸時代を舞台に構成されています。その為、江戸時代というと他の時代に比べて町並みは「こんなかんじなのかな〜」などとイメージすることが出来ますね。現在の日本人が着ている着物は江戸時代に着られていたものと同じです。1日3食も 江戸時代から習慣になりました。 ポルトガルから持ち込まれた食べ物も日本で作られ始めたり、西洋料理店などが日本に開店したのも江戸時代でした。将軍が代わると風習が変わり、そして江戸時代から130年程たった今でも 、現在の日本文化に影響を及ぼしています。江戸時代は江戸幕府が創立したと 同時に始まり、全ての権力が将軍から天皇に返され江戸時代は終わります。江戸時代は幕府が存在した時代の中で一番長く続いた時代であり 日本史の先史時代を除いて最も安定した時代、そして徳川幕府によって約273年間支配されていた時代でもありました。 朝廷は江戸幕府と共に江戸時代に存在していましたが、将軍が政権を握っていました。鎖国、開国、禁教、貿易、など多くの出来事がこの時代に起こりました。そしてまた 鎖国をしたことにより、鎖国以前に伝来した中国や韓国の芸術をもとに日本独特の芸術が発達します。

Picture of Nikko Toshogu

Ieyasu Tokugawa was deified as a god of Shogun ate by Iemitu Tokugawa.

   江戸幕府は徳川家康によって創設されます。明智光秀や豊臣秀吉のように彼もまた織田信長の家臣の一人でした。江戸時代初期は大名や農民に起こされた一揆のため不安定な時代でしたが、これらは鎮圧され、主従関係は四代将軍までに確立されました。大名は交代で江戸に一年間訪れるという制度(参勤交代)が 布かれ、大名の妻と子供は人質として江戸に住まわされました。そしてまた、大名は多くの供の者を連れて 江戸に行かなければならず、大名は参勤交代の度に多大な費用を費やしました。これによって交通のシステムが発達され、大名が通る道沿いの宿場が栄えました。

  将軍が代わると新しい決まりが新しい将軍によって出されました。例えば、四代将軍は主人の死後の殉死禁止 をし 主人の家に奉公することを定めます。このことが定められる以前は殉死は立派なこと″のように考えられていました。五代将軍は生ある物すべてを殺すことや傷つけることを禁止します(生類憐みの令)。虫もまた 例外ではありませんでした。 しかし その法令はあまりにも行過ぎた為に次の将軍に

よって撤廃されます。 しかし これら二つの法令はそれまでの日本文化に大きな影響を及ぼし、そして文化の一部である風習を変えてしまいます。それまでの日本では主人の死後、何人かの家臣が殉死することはまったく珍しいことではありませんでした。 主人は唯一人という事がなくなり、家臣は殉死をやめ、主人の死後は家族に奉公し始めます。五代将軍の時代は人々は肉を食べることが出来ませんでした。この法令が発布されるまでは犬の肉も食べられていたようです。この法令がきっかけとなり庶民が犬を食べる習慣がなくなり 、そして現代の日本人にしても犬を食べる習慣はありません。多くの一揆が圧制や飢饉のために各地方で起こりました。しかし 一揆に参加したのは農民ばかりで、江戸時代以前のように一揆に武士が混ざるなどということはあまりなかったようです。このことから江戸時代の幕府は他の時代の幕府に比べて安定していたことが窺われます。しかし この安定していた江戸幕府の状態も西欧諸国への開国後に急変し、そして開国してから約23年後に 次の時代がはじまります。

文化  農業の発達は農作物の生産高を高め、多くの農民は商品としての作物を植え始めました。これ により町と村の手工業が促進され、町や村に住んでいる人々にも貨幣経済が浸透します。商品は地域から別の地域へと運ばれ 、荷物の運搬を円滑にするため大きな都市とこれらの地域の間にある道や海路が発達しました。宿場町、港町、鉱山町など もそれぞれの地域で栄えます。江戸、京都、そして大阪が江戸時代の主要な3つの都市でした。それぞれの都市は異なった特徴を持っており、江戸幕府が置かれた江戸の人口はその当時の日本で最も多く、ある資料によると その人口は100万人に達したと記されています。江戸が政治の中心であったことから その人口の半数は武士が占めていました。武士の生活を支えるため、多くの手工業者や商人も江戸にいました。京都は江戸時代以前からの日本の首都であり、天皇家や貴族が居住していました。京都は西陣織が作られた土地であり呉服屋など多くのお店があります。そしてお寺や神社も多く建てられました。 大阪は商業都市であり、多くの品物が大阪に集められ大阪から別の都市や地域に運ばれていきました。その為、大阪の人口の大半が商業に従事していました。

  鎖国は200年ほど続きましたが 長崎県は唯一諸外国との貿易を鎖国期間に行っていた場所です。江戸幕府はキリスト教を禁止したため 貿易を制限し中国そしてオランダとの貿易だけを続けます。鎖国のためヨーロッパ文化の影響がよわくなり、日本独特の芸術が発達しました。例えば、酒井田柿右衛門は中国の赤絵を学び、上絵付けを完成、そして独自の赤絵も完成させました。柿右衛門の作品は輸出され、ヨーロッパの王族や貴族に人気があったようです。もう一つのたとえは、浮世絵です。これは江戸時代に発達した風俗画の一様式です。浮世絵は版画や肉筆画によて力士、美女、役者などを中心に 描かれました。浮世絵は19世紀のヨーロッパの美術にも影響を及ぼしました。

オランダから医学、地理学、天文学などの科学系の書物が輸入され、それらの書物は日本語に訳されます。そして、医学の書物は日本の医学をより発展させました。人々は学業を重視し、医学だけではなく他の学問も勉強し発展させました。江戸幕府は「礼儀、忠義、孝行」を尊び、それを説く儒教を奨励しました。

Picture of a Model of Nihonbashi from National History Museum

Picture of Hurisode in Edo Period from Kyoto National Museum

Picture of a windup doll in Edo period from National History Museum

江戸時代の食べ物

  江戸時代は約270年間続きました。多くのものが発達し、そしてたくさんの出来事が起こりました。この時代 新しい料理がヨーロッパから伝来しました。例えば、日本食を代表する天麩羅です。しかし これは元をたどるとヨーロッパの食べ物が基本になっているのです。資料によると、桃山時代に来た宣教師たちが食べているのを見よう見真似て作ったものが天麩羅だといいます。しかし、天麩羅はある一人の人が江戸に来て その食べ物を売るまでは有名ではありませんでした。しかし 食べ物の名前が決まっていなかったため、彼はある作家にその名前をつけてくれるよう頼みます。そして その衣が着いてあげられた食べ物は天麩羅と名づけられました。江戸時代、天麩羅は屋台で売られていましたが、時が経ち 天麩羅は高級料理となりました。資料によると、江戸時代後期にイチゴや清涼飲料水は西欧諸国から持ち込まれています。そして料理店では肉を使った料理を出し始め、そして西洋料理店も開かれました。江戸時代の人々はこの新しい食べ物や飲み物に大変興味があったことでしょう。

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