秦への使者
人は他の国に自然と興味や好奇心を持ちます。古代の日本人もそうであるといえるでしょう。中国や韓国から自分たちには無い優れた技術を持った人たちが来れば 自然と興味がわくはずです。そして日本には海を渡る技術が無かったため、太古の日本人は外の国へ行くことが不可能でした。しかし 大陸からの人々の移住により、その人々から知識や技術を習得します。そして海を渡り他の国へ訪れることが可能になりました。秦時代に書き残された史料によると、皇帝が何千人もの人々を日本に送り その人々が海をわたって日本にたどり着いたと示しています。
この当時、中国では西漢王朝が栄えていました。倭の指導者は西漢王朝の進んだ技術と知識を得たいため 紀元後57年に中国への使節団を送りましす。しかし あまりにもの技術の差があったため、倭の指導者は西漢に攻撃されることを恐れ160人の奴隷を贈り物としてその当時の中国王朝の皇帝に謙譲しています。海を渡って他の国に奴隷を謙譲したのは 日本の歴史上初めてのことでしょう。しかし 日本は中国とは陸で続いているわけではないため、当時の皇帝は倭の国についてはあまり知りませんでした。日本の使節団はたどり着いた国にある発達した技術 そしてとても大きな国が統一されているということにさぞ驚いたことでしょう。そして 使節団は皇帝から金印を授かります。
倭の国の指導者が中国の皇帝から金印を授かったということは 中国の皇帝がその指導者を倭の国の王と認めたという意味でもありました。この後、多くの人々が中国へ大陸の知識や技術を学びに行くことになります。